2016年10月05日

聲の形 漫画原作版

映画を観て、漫画原作を購入しました。以下ネタバレしております。




原作を読んで、映画は結構原作に忠実なつくりをしていたんだなと思いました。ただ、尺の都合で変更、省略されているシーンは結構ありましたが。特に映画では丸々カットされた終盤を読んで、映画を観て「え?これで終わり?」と感じたのはコレをカットしていたからか、とも思いましたね。

実際、漫画というのは心の内の発言を描くことが多いので、小学生時代の将也のまさにガキっぽい思考が読み取れて、いじめ(本人はそう思ってない)に至った経緯が描かれていました。映画ほどではないけれど、やはりダメ教師っぷりは酷かったし、彼の対応が硝子を「いじめてもよい」という免罪符を与えてしまっていたのはやりきれない。高校編でも出てきますが、相変わらずのダメ教師っぷりでした。

また、川井みき、植野直花、真柴智にもきちんと焦点が当てられていましたね。特に、真柴智。映画では全く触れられず、突然友達になりたいとやってきた怪しい人物だったけれど、原作ではその裏側が描かれていました。彼もまたかつてはいじめられる側で、教師になる夢というのも歪んだ思いの果てだったり、自分が異常ではないということを確認したいがために将也に近づいたり。感情がコントロールできなくなる男でした。
植野は映画よりもよりアグレッシブなキャラでした。映画を1.5倍くらいに強くした感じ。こっちが本来の植野なわけですが、相手の心を思い図れない、直情決行で無神経に口も出すが同時に手も出る人物。将也の、特に硝子がらみになると異常なまでに激昂するのは、将也が好きだったのに我が身可愛さで彼に助け舟を出すことができず、久しぶりに出会ったら、かつていじめていた嫌いな硝子と仲良くなっていたことからの嫉妬なのだなと。
川井みきは、その気持ち悪さがクローズアップされていました。自分が可愛いのを自覚し、それを武器にいざとなると泣いて見せ、優等生を演じている。本人はうまくやっていると思っているけれど、クラスメイトには見透かされている。実際真柴の皮肉の言葉にも気づかないし。橋の上のけんかで、永束が止めに入ろうとすると「汚い!触らないで!」と罵るあたりは地が出てしまっていたなと。

植野と真柴は解決しないまでも自分の問題点を理解していた気がするんだけど、川井だけは最後まで理解していたのかどうか。千羽鶴の失敗を自分の力の無さと思ったのか、今まで通り周りが悪いと思ったのか。最後はそんな自分を受け入れるシーンがありますが、あれは真柴が気の毒な気が。永束くんと佐原さんはそれぞれに向かって進んでいましたね。植野は将也に過去の謝罪とかつての友達二人が転落した将也を助けた事実を伝えて踏ん切りをつけ、いや、最後の最後で自分の気持ちを伝えないところが彼女らしさかな。佐原さんと立場が逆になりつつありますが。

将也は地元に残り、硝子は東京へ。同じ理容師を目指すわけだけど、将也の鈍感力には本当にもう。まぁ、硝子との出会いがそもそもいじめからスタートしているわけだから自分に都合のいい展開を認められないんだろうけども。
卒業から2年。硝子の就職先を心配する将也だけど、まぁ、ほぼ決まってますよねぇ。成人式でかつての仲間が集合、将也と硝子は最後に小学校の集まりに参加するところで物語は終わります。二人の最初に出会ったところに。その出会いは最悪だったけれど、今は幸せ、という締めでした。

原作はいろいろな部分がより深く描かれていました。高額な補聴器を壊されたのにすぐ学校に訴えなかった硝子母の理由、硝子が自分自身を本当にどう思っていたのか、将也が硝子を苛烈にいじめることになるまでの過程、他にも”読む”ことで理解する部分が多々あって、とてもよかったです。漫画家の末席にいる自分から見て、こういう漫画が描けるってすごいと、素直に思えました。
posted by 天誅丸 at 15:05| Comment(0) | 雑記
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